音楽で人は賢くなる?

心理学者、神経心理学者、生物学者からなる3名の識者が自説を展開します

記事:コリン・イートック

 

「音楽と脳」が巷で注目の話題となっています。ダニエル・レヴィティン著『This Is Your Brain on Music(邦題「音楽好きな脳―人はなぜ音楽に夢中になるのか」)』とオリヴァー・サックス著『Musicophilia: Tales of Music and the Brain both(邦題「音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々」)』が2007年のニューヨークタイムズ紙ベストセラーリストに掲載されて以来、人々の関心が急速に高まりました。

一部の人は実際に他の人よりも「音楽面で優秀」なのでしょうか(そしてそのためにピアノのレッスンが役立ったのでしょうか)?大半の専門家が、音楽を学ぶと優秀になるという見解に同意しています。…ただし、音楽面で。それを超えた領域になると、事態は複雑になります。また、このテーマは話題にするのも注意が必要です。というのも、私が話を聞いた専門家は全員、「音楽的知性」という言葉に対して曖昧すぎると言い、音楽適性や音楽認知についての議論をするのでした。

音楽適性、つまり音楽を学習する能力は、ほぼすべての人が備えているように見えるものの、実際には必ずしも均等に配分されていないものです。神童について考えると、それがはっきりと浮き彫りになります。

サンディエゴにある神経科学研究所に在籍するアニラド・パテルは、音楽適性の有無はくじ引きのように運次第で決まる可能性があると指摘します。「音楽適性が生まれつきのものか、それとも早期経験の成果であるかについては実際に意見が分かれています。しかし、いずれにせよ、人によって音楽適性に違いがあることは明らかです」

一方、音楽認知、すなわち音楽を理解する能力は、また異なります。フランスの研究者エマニュエル・ビガンは最近、音楽訓練の経験の有無にかかわらず、大半の人はほぼ同レベルの音楽認知を備えていると述べました。音楽教育を施された音楽家は、音楽の仕組みに関する意識的な理解(とそれについて述べるための語彙)では優っていますが、音楽教育を受けていない人も音楽についての直感的理解を持っています。

しかし、カナダ・モントリオールのマギル大学に所属する神経心理学者ロバート・ザトーレは、実験の結果、音楽家と非音楽家の音楽認知には顕著な違いがあることが示されたと言います。「ある旋律をひとつの調で演奏し、それを別の調でもう一度聴かせて、調が変わったかどうかを尋ねます。その結果、音楽トレーニングを受けた人々の方が実験の成績が良好でした。音楽トレーニング未経験者を調べると、そのうち一部の人は音楽家と同様に良い結果を収めますが、一方、その他の人々の結果はひどかったのです」。ザトーレはこのように説明しました。

 

もうひとつ、「モーツァルト効果」について覚えているでしょうか。1990年代にモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を新生児に聴かせることが流行したのですが、この流行は、かなり脆弱な科学的根拠に基づいていました。最初の研究はカリフォルニア大学アーバイン校の大学生を対象に行われました。あるグループにはモーツァルトを聴かせ、別のグループには聴かせないというものです。その後IQテストを実施したところ、モーツァルトを聞かせたグループの方ではわずかにスコアが高かったのです。

これに対してトロント大学の心理学者グレン・シェレンベルクは、IQテストを受ける前には、ほぼどのような種類の精神的刺激を受けても成績が向上すると述べます。「音楽は人の感じ方を変え、感じ方が変われば認知能力が変わります。このことにより、幼少期にモーツァルトを聴くと認知面でメリットが得られる可能性があるという見解が大雑把に導き出されました。しかし、これらの関連は、あったとしても希薄です」。シェレンベルクはこのように指摘します。

シェレンベルクは一方で、音楽のレッスンにより、ただ聴くだけでは得られない確かな成果がもたらされる可能性があると考えています。彼は、楽器の演奏を習うことで「わずかではあるものの、全般的かつ長期に持続する認知的メリット」が得られると主張します。つまり、音楽によって賢くなれるということでしょうか?可能性はあります。ただし、「どうすればカーネギーホールの舞台に立てるでしょうか?」という問いに対する答えと同様に、それは練習次第なのです。

もちろん、一部の活動中の音楽家は、自分たちが「普通」の人々とは根本的に異なる特別な人種であると感じています。最近、それが証明されるに至りました。科学者らにより、音楽家の脳は特定の具体的な点でわずかに異なる傾向があることが発見されました。

「高度な音楽トレーニングを受けた人の脳全体の構造を見ると、聴覚処理や、楽器奏者の場合は手の運動調節など、音楽の処理を司る領域の灰白質の量に違いがあるのが分かります」。パテルはこう語っています。

ザトーレも同意します。「音楽のトレーニングを行うと、それによって脳構造に変化が生じることは数多くの実験結果から明らかです。また、いくつかの実験が、7歳くらいまでに音楽の訓練を始めた場合に変化がより大きくなることを示しています。変化の程度は小さくなりますが、それよりも遅い時期に訓練を開始しても変化は生じます」

ここで私たちは、一種のニワトリと卵の問題にぶつかります。音楽を学習することで音楽家の脳にこのような変化が生じたのでしょうか、あるいは音楽面で才能のある脳を持って生まれた人が音楽家になる傾向があるのでしょうか?確かなことがひとつあります。それは、特定の恵まれた脳の特性を持っていれば良い音楽家になる、とは必ずしも言えないということです。「聴覚皮質が特に良好に発達していても、必ず良い音楽家になるというわけではありません。なぜなら、その他にも非常に多数の要因が存在するからです。たとえば、いくら聴覚皮質の発達がすばらしくても、信じられないほど不器用な人がチェロを弾こうとすれば、さまざまな困難が生じるでしょうから」とザトーレは説明しました。

「生物学者」:アニラド・パテルは、サンディエゴにある神経科学研究所のエスター J. バーナム特別研究員です
「神経心理学者」:ロバート・ザトーレは、モントリオール神経学研究所で認知神経科学に携わっています
「心理学者」:グレン・シェレンベルクは、トロント大学の心理学教授であり、作曲家でもあります

 

私たちは、自分の得意なことを楽しく感じ、自分の楽しく感じることが得意である傾向があります。しかし、人が聴衆として音楽を楽しむのはなぜでしょうか。それは、脳で生成され、喜び(または科学者が好む表現では「報酬」)と密接に関連している神経伝達物質、ドーパミンに大きく起因します。人がセックスやドラッグ、ロックンロール、あるいはそのほかあらゆる種類の音楽を楽しむのは、脳内に放出されるドーパミンによるものなのです。

これはザトーレが特に関心を持っている分野です。彼は以前、ある実験を行いました。被験者に、自分が特に好きな音楽の録音を実験室に持ってくるように頼んだのです。「被験者がクラシック、ジャズ、フォーク音楽などさまざまな録音を持ち込んだので、実験室中の至るところが録音媒体でいっぱいになりました。しかし、彼らが持ってきた録音には共通点がありました。持ち込まれたすべての音楽が、ドーパミン系を活性化したのです。私たちは、人々が自分たちの本当に好きな音楽を聴いているときにはドーパミンが放出され、なんとも感じないか、またはそれほど好きでない音楽を聴いたときにはドーパミンがまったく放出されないことを発見しました」

今度、自分の好きな曲の特に素晴らしい演奏を聴いたとき、ぞくぞくするような快感が背筋に走ったら、その理由が何かもうお分かりでしょう。ドーパミンの仕業です。

ドーパミンの効果は、「難しい」音楽でも同様にみられるのでしょうか。アーノルド・シェーンベルクは、約100年前に不協和音を多用する無調音楽の作曲を始めました。そして、当時から現在に至るまで、大勢の聴衆がこの音楽をまるで疫病であるかのように忌避し、なかには、あんなものは音楽ではないと主張する人さえいます。他方、一部の聴衆はこの音楽を心の底から楽しんでいるように見えます。

この論争について脳科学の立場からはどのような意見があるでしょうか?判明したのは、そんなに多くはないということです。科学者は音楽評論家ではなく、彼らにとって、どの種類の音楽が他よりも「良い」かという質問は、それほど議題にならないからです。それでも、少し催促すると、いくつかの科学的な見解が浮上しました。

シェレンベルクは、無調音楽は「そもそも難しい」と考えており、「主音がないと、つかまるものが何もない状態、つまり他の音を関連付けられる対象を持たない状態になります。協和音程は構造的な役割を担います。また、赤ちゃんが協和音程を好むことを示す研究も存在します」と説明します。

また、ザトーレはこう述べています。「難しい音楽とはどのような音楽かを、実際に測定するようなテストを開発することは可能です。ただしそれによって、音楽作品の質を判断することはできないでしょう。難しいからといって質が良いわけではなく、またシンプルだからといって質が悪いわけではないからです」

パテルは、この問題を解明する可能性を持つ、ある実験を提案します。「ベートーベンなどの伝統的なクラシック音楽と、ブーレーズなどの現代クラシック音楽の両方を理解していると主張する音楽ファンを被験者にします。そして、被験者がこの2種類の音楽を聴いている間に彼らの脳をスキャンします。それから、この人物の脳の活動を、『モーツァルトとベートーベンは分かるけれど、ブーレーズやシュトックハウゼンは理解できない』と言う別の人物と比較すればよいのです。でも、この実験を行った人はまだ誰もいません」

「脳」について語るのは簡単ですが、地球上には、数百の国籍、数千の民族に分かれた約70億人の人々が存在します。そして、人々の脳の使い方に影響を及ぼすもののひとつに、文化があります。だとすれば、西欧諸国内で行われた研究から「脳」に関する普遍的な結論を導き出すのは公平でしょうか?それとも文化的バイアスは、脳科学の「隠しておきたい秘密」なのでしょうか?

パテルは、脳科学者の方法論を擁護します。「確かに、音楽に関する普遍的理論を編み出すために脳科学を使って音楽にアプローチすることを、懐疑的に見る人はいます。民族音楽学者も以前から、普遍的なものはわずかしかないと主張しています。しかし、ある一定の事柄は広い範囲で見受けられます」

ザトーレは、より多くの異文化間研究が必要であると認めます。「脳研究の結果は、研究対象である脳の持ち主によって変わります。私の研究室はモントリオールにあるため、私はこの地域に住む人々を研究しています。しかし現在、中国でいくつかのグループがこの研究に関心を示し始めており、また以前私のところにいたインド出身の女子学生も、バンガロールに戻り、インドの音楽で研究を進めようとしています」

ザトーレは、2009年にアフリカのカメルーンで音楽認知に関する研究が行われたと指摘します。この実験は、西洋音楽にほとんど触れたことのないマファ族を対象に行われたもので、被験者は西洋音楽のサンプルを聴いた後、どの曲が楽しく、悲しく、あるいは怖く感じられたかを尋ねられました。その結果、マファ族は、西欧の人々で構成されるサンプル集団と同じ判断をする傾向を示しました。

シェレンベルクは、文化的バイアスよりも研究方法について気にかけています。「問題は、事実上すべての脳研究が準実験的であることです」と彼は述べ、脳研究では無作為割付ができないことがその理由だとします。「ある人を無作為に選んで音楽家にし、また別の人を選んでその人は音楽家にしない、ということはできませんからね」

音楽を研究する脳科学者の大半は、音楽家のメリットのために研究を行っているわけではありません。しかし、こうした研究のなかから興味深い有益な情報を得ることができます。たとえば、経験を積んだ音楽家にとっては、指を使うのではなく頭の中で音楽を学習するという「メンタルイメージング」が興味深い情報かもしれません。

「音楽は、それ自体が目的だと認識されるべきであり、別の目的の手段であると見なされるべきではない」

「チェロを一日一時間、一週間にわたって練習すると、この練習を行う能力に関連する脳の領域に変化が見られます。しかし、この練習を、楽器に触れることなく、頭の中にイメージを想起して行っても、同様の変化がいくつかみられます。けいれん、姿勢のトラブル、ジストニアなど、過度の練習からくる身体的な問題に悩まされなくて済むため、通常の練習よりもこうしたメンタルプラクティスの方が良いという人もいます」

もしこれが本当なら、音楽学校の学生にとっては良いニュースです。しかし、巨匠になろうとしているわけではなく、プロの音楽家を目指しているわけでもない、大多数の音楽家にとってはどうでしょうか?脳科学はこうした人々にどのようなことをもたらすのでしょうか?

音楽教師は、学校のカリキュラムから音楽をなくすべきではない理由を考え出す必要にますます迫られており、学校に音楽の教科が必要であることの根拠として、あらゆる種類の「副次的効果」の存在が主張されています。たとえば、音楽によって規律とチームワークを学べる、楽器の習得は学生に達成感を与える、などです。そして確かに、最新の研究により、音楽の学習が若者を賢くすることの根拠が実際に示されています。

ただし、シェレンベルクは、この点を強調しすぎることには注意が必要だとし、「音楽は、それ自体が目的だと認識されるべきであり、別の目的の手段であると見なされるべきではない」と主張します。「研究ではIQに若干の上昇がみられることが示されており、音楽トレーニングがある種の認知的メリットをもたらすことのエビデンスは増えています。でも、実際には、数学の授業を受ける理由が作詩の能力を高めるため、という人はいませんよね」

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